わたし、がんになって良かった。2

 

病院を出てからも頭を打たれたような衝撃と、目の前が真っ暗という感覚が張り付いていた。

ただ思うことは、電話、しなきゃな、という気持ち。

そう、両親への連絡だ。

すぐにしていいものなのだろうか、でも、手術を早急にしなければいけない、と先生から言われたのだから、親には言わないとまずいだろう、という感覚だった。もう29歳。まだ29歳。その数字や歳の感覚がよくわからなかった。

まだ暑い日のお昼の時間。

渋谷の街が陽炎のように揺れて見える。私は手すりに腰掛けて母親に電話をしたのだ。

 

 

「がんです」と結果を告げた先生からはこう言われた。

 

私は子宮頸がんの細胞診という最初の検査をし、HPVという頸がんウイルスを保持していたため、それが悪化し、検査に引っかかったらしい。そしてそれががんという形に変化した。「上皮内がん」というものだ。

 

よくテレビや本、様々なメディアで騒がれるステージというものではないが、ランクとして言うなれば、ステージ1の手前である。なので、放っておいたらがんは広がり、ステージ1、更にはそれ以上になるというのだ。

先生は言った。

「早急に手術してください」

「え……っと、それは、いつまでにですか?」

「1ヶ月以内には手術して欲しいですね」

 

い、1ヶ月? 1ヶ月? 私は何度も胸のうちで反芻した。1ヶ月ってかなり近いよね、それでこれから両親に連絡して、それで……考えるだけで頭が痛い……。私は血の気がずっと引いたままだった。

 

「な、なんとかもうすこし先とかにできませんか」

「それは、これから紹介する大学病院先と相談してください。先にするとしても年内ですよ」

 

えっ、年内なんだ……。そんなに急ぎなんだ……。

私はその時、自分ががんだと宣言されたことが自分のようには思えなかった。でも、先生はきっぱりと言ってくる。そうして大学病院への紹介状を渡されたのだった。

 

 

電話越しの母は、もちろん驚いていた。言葉に詰まったのは私だ。だけど、言わなくちゃいけない。本来なら外でこんな風に伝えることではないのかもしれない、そう思ったけれどこれから仕事というのもあり私は簡潔に伝えた。

 

私はこの時、なんて母に伝えたのか、覚えていない。ただ、言葉に詰まって、それでも母が励まそうとしてくれていたのは覚えている。

蒸し暑くて蒸し暑くて、真っ青な空が見えるのに、渋谷の雑踏が違う景色に見えたのだけは、今でもずっと、覚えている。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

藤村 菜生 Nao Fujimura

上京と共に大学進学、アパレルの勉強の途中で美容業界に惹かれ、学生時代からセラピー技術を勉強する。
卒業後、美容部員、エステティシャン、セラピストを経て、ファスティングに出会う。当時、重度の花粉症やハウスダストのアレルギー症状に悩まされていたが、ファスティングをして改善。また、10kgのダイエットにも成功。
その後、婦人系のがんが発見され手術を宣告されたが、ファスティングを取り入れたメソッドを行い、手術をせずにがん陰性に戻した。
現在は、健康でありつつ綺麗を楽しむことモットーにファスティングや食育を広めつつ、日本の「和」の魅力も発信中。
好きなものは、犬、着物、日本酒お寿司、赤ワイン焼肉、京都。